XX20年前後は特にヤバい? 100年毎に繰り返される人類と凶悪ウイルスとの闘い

2020年新コロナウイルス(武漢ウイルス)により、人的、経済的に人類は大きな危機に直面している。

日本でも欧米に比べればウイルスの侵攻は緩やかではあるが、予断を許さない状態が続いている。すでに、2020年東京オリンピックは延期が発表され、国家非常事態宣言は秒読み段階、首都東京もLock downについても言及がなされた。

観光業、飲食、イベント関係はもちろんの事、大企業でさえも大幅な業績下方修正がなされている。経済はボロボロであるが、NYダウやNK日経など各国の金融緩和政策(日銀ETF含)により一時的に株価の上昇は見られたが、このままいけばリーマンショックどころか、世界大恐慌が襲うであろう。

貯金も無く、職も失う人もいるかもしれない。しかし、日本にはセーフティーネットが整備されている。無金利で当面の生活資金を借りることもできる。きちんとした情報を持っていればたちまち路上生活に陥ることも無いので正確な情報を持っておくことは重要である。

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100年毎に繰り返される人類と凶悪ウイルスとの闘い

キーワードは「防疫体制の整備」「衛生状態の改善」「清潔な水」。中国共産党は一刻も早く改善すべき。

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ペスト(1720年最後の大流行、以降先進国では限定的)

ペスト菌が感染することで起きる伝染病であり、致命率は非常に高く60%から90%に達する。別名「黒死病」の名は、感染者の皮膚が内出血によって紫黒色になることに由来する。感染後の症状によって、「腺ペスト」「肺ペスト」など、いくつかの種類に分類されている。

古来複数回の世界的大流行が記録されており、特に14世紀に起きた大流行では、全世界で1億人が死亡したと推計されており、当時の世界人口を4億5000万人から3億5000万人にまで減少させた。ヨーロッパでは、1348年から1420年にかけて断続的に流行し、域内全人口の30%から60%が死亡した。ヨーロッパで猛威をふるったペストは、そのまま放置すると肺炎などの合併症によりほぼ100%の人が死亡し、たとえ治療を試みたとしても、当時の未熟な医療技術では十分な効果は得られず、致命率は30%から60%に及んだ。イングランドやイタリアでは人口の8割が死亡し、全滅状態となった街や村もあった。ペストによってもたらされた人口減は、それまでの社会構造の変化を強いられる大きな打撃を与えた。

フランスでは1720年にマルセイユで大流行した。しかし、集権化にともなう防疫体制の整備 と衛生状態の改善から、これ以降の大流行はみられなかった。こうして先進諸国では19世紀までにほとんど根絶されたが、発展途上国ではなお大小の流行があり、インドでは1994年に発生、パニックが起きた。

近世以降も断続的に流行が発生したが、19世紀末に北里柴三郎によって漸く原因菌が突き止められ、有効な感染防止対策がなされた結果、流行は急速に減ったが、近年でもペストの感染は小規模ながら続いており、1990年代、2000年代にも感染者や死亡者が出ている。

 

コレラ(1817-1823年に世界大流行が発生)

コレラ(虎列剌)は、コレラ菌を病原体とする経口感染症の一つ。治療しなければ患者は数時間のうちに死亡する場合もある。予防には、衛生改善と清潔な水へのアクセスが必要である。経口コレラワクチンは、投与するとおよそ6か月効果が続き、またその他一部の大腸菌による下痢も予防できる。

全世界の患者数は毎年3-5百万人であり、年間28,800–130,000人の死者を出している。これまでパンデミックには分類されておらず、先進国では稀な病気である。最も影響を受けるのは児童である。コレラはアウトブレイクを起こす病気でもあるが、特定の地域では一般的な病気であり、現在もリスクがある地域は、アフリカと東南アジアである。死亡リスクはたいてい5%以下であるが、医療アクセスに乏しい地域では50%に高まる。歴史的な記録は、紀元前5世紀のサンスクリットにまで確認される。

 

コレラの感染力は非常に強く、これまでに7回の世界的流行が発生し、2006年現在も第7期流行が継続している。2009年1月29日現在、ジンバブエで流行中のコレラの死者が3000人に達し、なお増え続けている。

アジア型は古い時代から存在していたにもかかわらず、不思議なことに、世界的な流行を示したのは19世紀に入ってからである。コレラの原発地はインドのガンジス川下流のベンガルからバングラデシュにかけての地方と考えられる。最も古いコレラの記録は紀元前300年頃のものである。その後は、7世紀の中国、17世紀のジャワにコレラと思われる悪疫の記録があるが、世界的大流行は1817年に始まる

1817年よりカルカッタに起こった流行は、アジア全域からアフリカに達し、1823年まで続いた。その一部は日本にも及んでいる。1826年から1837年までの大流行は、アジア・アフリカのみならずヨーロッパと南北アメリカにも広がり、全世界的規模となった。以降、計6回にわたるアジア型の大流行があった。しかし1884年にはドイツの細菌学者ロベルト・コッホによってコレラ菌が発見され、医学の発展、防疫体制の強化などと共に、アジア型コレラの世界的流行は起こらなくなった。だがアジア南部ではコレラが常在し、なお流行が繰り返されている状況である。

 

スペインかぜ(人類史上最悪級1918年パンデミック)

スペインかぜは1918年パンデミックとも呼ばれ、極めて多くの死者を出したインフルエンザによるパンデミックの俗称である。1918年1月から1920年12月まで世界中で5億人が感染したとされ、これは当時の世界人口の1/4程度に相当する。

その中には太平洋の孤島や北極圏の人々も含まれた。死者数は1,700万人から5,000万人との推計が多く、1億人に達した可能性も指摘されるなど、人類史上最悪の伝染病の1つである。米国ではパンデミックの最初の年に平均寿命が約12歳低下した。

第1次世界大戦中の士気維持のため、ドイツ、イギリス、フランス、米国での病状や死亡の初期報告は検閲により最小限に抑えられた。一方で中立国スペインにおける伝染病の影響は自由に報道され、アルフォンソ13世の重病を初めとする多数の記事はスペインが特に大きな被害を受けたという誤った印象を生み出した。これがこのパンデミックの俗称である「スペインかぜ」の由来である。しかし歴史的、疫学的データは地理的起源を確実に特定するには不十分でありその起源には諸説ある。

ほとんどのインフルエンザの流行では死者が乳幼児と高齢者に偏りその中間の年齢層の生存率は高いが、スペインかぜでは若年成人の死亡率がその他のインフルエンザと比較して高かった。科学者たちは、1918年のインフルエンザ大流行の死亡率の高さについて、いくつかの可能性のある説明を提示している。いくつかの分析はウイルスがサイトカイン放出症候群を引き起こし強い致死性を得ることを示している。サイトカイン放出症候群は若年成人の強い免疫システムを破壊する。これとは対照的に、パンデミック期以降の医学誌に対する2007年の分析では、スペインかぜのウイルス感染は以前のインフルエンザ株よりも攻撃的ではなかったことが判明した。その代わり、栄養失調、過密な医療キャンプや病院、劣悪な衛生状態が細菌性の重複感染を促進していた。ほとんどの犠牲者はこの重複感染が死因であり、重篤期間はやや長期化することが多かった。

スペインかぜは、H1N1型インフルエンザウイルスによる2つのパンデミックのうちの最初のものである。2番目は2009年の豚インフルエンザである。